人生は敗者復活戦

9月14日、筑後地区の中学校で「社会人講話」をさせていただきました。

お茶の仕事を通して、社会人としての苦労や喜び、夢の叶え方等の内容で約50分。

お茶を準備していき、お茶の効用や特長を映像で見てもらったり、水出し茶や一般的なお茶(三種類)を試飲したので、あっという間の50分間でした。

最後は、同行の二人の女性スタッフも社会人の先輩として仕事についてのメッセージを一所懸命に伝え、締めくくりました。スタッフにとっても良い経験になったようです。

中学生諸君は予想以上にシャイな印象(特に男子)でしたが、しっかりした感想ももらい、うちに秘めているものは大きいと感じた嬉しいひとときでした。

講話を終え、校長室で校長先生とお話ししながら、校長先生の熱き心に又感動!

「目の前の受験が大事なのはもちろんですが、人間力を向上させることも生徒たちにもっと伝えて行きたい。例えば、全国高校野球選手権大会でも3906校の参加校のうち、一度も負けなかったのは1校(優勝校)だけ。あとは全部負けるんです。

何が言いたいかというと、人生は敗者復活戦なのだということです。勝ち進んでばかりいられる人生はない、負けることもへこむこともあります。大事なのは挫折に負けない生き方。自分たち教師がそれをどう教えることが出来るか、いつもそのことを考えています。」

本当にそうですね~。教育現場におられる先生ならではのお話しで、胸に染み入りました。

人生の本番は、社会人としてどう生き抜いていくか。

嬉しいことも辛いことも人生には色々ありますが、そのことが自分自身を鍛えてくれるのも事実。

そう考えたら、すべてを糧にして周りに良い影響を与えることの出来る“人間力”こそ本当に大切ですよね。

人生は敗者復活戦・・・含蓄のあるお言葉をいただき、感謝の思いでいっぱいでした。

これからの励みとし、精進してまいります。

中村哲医師講演会 ―いま「平和を考える」-  その3

私たち学生が世界平和のために出来ることは?
「自分の身の周りが平和であること。いじめない。家族の中でギスギスした関係をつくらない。自分が平和な心を持つこと。身の周りのことから平和をつくって行くことが大切。」
世界平和というと何かとてつもなく大きなことのような気がしますが、自分の身の周りを良く出来なければ世界平和もない。“まずは身の回りから”肝に銘じたいと思います。

未来ある中高生たちが一般の参加者と共に、一所懸命に質問してくれる姿、とても嬉しかったですね~。

現地では自ら土木工事用の重機を動かし「最近は医療より井戸堀りが専門です」と笑わせる中村先生。
「アフガンの人たちの願いは二つだけ。1日3回食べられることと自分の故郷で家族と一緒に暮らせること。人情に厚く義理堅いし、老人が大切にされ歳とるだけで尊敬される文化がある。・・・今、私たちにとって本当に必要なものは?そう必要でないものは?」

そう、私たちはそう必要でないことまでも望み、結果そのことに縛られて暮らし、不必要な悩みや葛藤、時には争いまでも生み出しているのかも知れません。
歳とるだけで尊敬される・・・なんて素晴らしい!けれど残念ながら今の日本には足りない部分でしょう。
しかし、今は足りなくても本当の豊かさを育める源になって行きたい、としみじみ思ったものです。

先生の著書の中に「私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人のまごころは信頼に足る」とあります。最後に言われた「自然と人間がいかに折り合っていくか?」の答えがここにあると思います。
自らの心の平和が、周囲の平和、そして世界の平和につながり自然とも融合出来ることを信じて行きたい。

人間として又、日本人としてどう生きるか?を自らの人生で教えて下さった中村哲先生を誇りに思い、心から感謝申し上げます。

中村哲医師講演会 ―いま「平和を考える」-  その2

講演会当日は地元の中高生も沢山参加してくれていて、会場整理等のお手伝いに加え、質疑応答にも積極的に手を挙げてくれ時間が足りないほどでした。
中村医師ならではの大変含蓄のある、心に沁みるお答えばかりですので、少しご紹介しますね。

自らの生命の危険も顧みず続けてこられた理由は?
「命を預かっているという責任感・・・この土木工事(用水路)に何千人、何万人の命がかかっているというプレッシャー。そして善意の募金をしてくれた人たちへ自分がきついからやめるという訳にはいかないでしょう。日本人の誇りでしょうかね。」
“日本人の誇り”という言葉に思わず腰骨が立つ思いでした。

中村先生が現地で幸せを感じた時は?
「助かるだろうか?と思う人が助かったとき。本当に嬉しいですよ。」
その場の家族や周りの人々の喜びや安堵の光景が、眼に浮かぶようですね。

教育について、どうお考えでしょうか?
「人は教育を受けて高学歴になると都会へ行きたがり、汚い仕事を嫌うようになる。大切なことは、まず気立てが良いこと。偏差値が高くなったら気立てが良くなるか?物知りになれば気立てが良くなるか?人間として立派に生きて行くこと。そしてそれなりに社会に適応していくことが大事」
大切なのは気立て・・・本当にそうだなと思いながら、そのことに意識の薄かった自分を省みました。

教育はもちろん大切だけど、その盲点をついている。
生きて行く上で本当に大事なことは何か、先生は教えて下さっています。

その3へ続く

中村哲医師講演会 ―いま「平和を考える」-  その1

9月5日、八女市民会館「おりなす八女」での中村哲先生の講演会に行ってきました。

福岡出身の医師で現在69歳。小柄でにこにこされていて気負いを感じさせない、素敵な先生です。
日本では八女郡広川町の馬場病院の副院長もされていたそうで、驚きつつ身近に感じました。
30年以上にわたりアフガニスタン地域の医療や用水路建設に携わってこられた中村哲先生。
現地での映像を交えながらのお話は示唆に富み、「平和とは何か」をあらためて考える時間でした。

パキスタン北部のペシャワールで、ハンセン病医療活動に取り組まれていた31年前。

紛争(内戦)続きの隣国アフガニスタンから戦火を逃れてきた難民の治療も行い、次第に国境を越えてアフガンでも医療活動を広げ、15年の間に一つの基地病院と10か所の診療所を開設されました。

内戦による治安悪化に加え、2000年、アフガニスタンは未曽有の大干ばつに襲われます。農業で生計を立てている国が農地は荒れ果て家畜も死に、村が丸ごと難民化し、生存そのものが危うい事態に!水不足のため感染症が広まり、体力のない子供たちの命が次々に失われて行きました。

この大きな被害に直面した先生は「飢えと渇きは薬では治せない、百の診療所より1本の用水路を」と決意し、大変な苦労を伴いながらもアフガンの村々に1600本もの井戸を掘り、用水路の整備をして行かれたのです。

干ばつで干上がり砂漠化していた土地が、今では緑生い茂る森となり、みずみずしく潤っています。

その2へ続く

136年ぶりのご遷宮

10月10日、出雲の「万九千神社」の社殿が136年ぶりに一新され、正遷座祭が行われました。三笠宮家の彬子様も参列され、荘厳な中での遷座祭でした。

万九千神社は全国の八百万の神様が出雲に集まられる旧暦10月(出雲では神在月)の最後に、帰られる神々を見送る神等去出祭(からさでさい)を開く神社として知られ、神様がお発ちになる場所は「神立橋」(かんだちばし)という名前もついています。

と言っても、私は去年まで万九千神社さんのことを知りませんでした。(≧▽≦)

昨年の出雲大社ご遷宮の折、伺った万九千神社の錦田宮司さんのお話に感動!

錦田宮司さんは県庁勤めであったけど、宮司として生きて行くことを覚悟され、数年前に退官。「年収は二分の一になり、生活は苦しく、、、(笑)。でも県庁では自分の仕事を代わってやれる人がいる。けれど宮司の仕事は私しかいないんです」と笑いを交えながらも誇りを持ってお話されるそのお姿に深く感銘を受けました。

跡継ぎであることへの葛藤もあられたことでしょう。

でも、自らの使命を悟り、その道を極めて行く、、、。

そんな気概と覚悟を感じ大好きになりました。

正遷座祭では、仮殿から「絹垣」と呼ばれる幕で四方を覆った御祭神を中心に行列を重ねる遷御を間近かにし、とても感動しました。

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そして!

日頃から尊敬してやまない、鹿児島大海酒造の山下社長ご夫妻はじめご一緒下さった近畿出雲会の皆様方のお蔭で本当に嬉しく有難い感謝の出雲参りが出来、心から御礼申し上げます。

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涙の入社式

この春、お茶村は福岡県立筑後特別支援学校からI君という新入社員を迎えることが出来ました。

筑後特別支援学校は、知的障害を主とする児童・生徒が学ぶ、福岡県筑後市にある県立特別支援学校です。

以前から、障がいを持つ人と健常者が共に仕事が出来る会社になりたいと願ってきた私には、心願成就の嬉しい一日となりました。

4月4日午前9時、平成26年度の新入社員入社式が始まりました。

昨年と違うのは、I君のご両親が参列されていることです。

I君は高等部在籍の時から職場実習に来てくれていたので私たちはご両親とも顔なじみですが、I君の社会人としての第一歩を見ていただきたく、お忙しい中に参列をお願いしました。

真新しいスーツに身を包み、胸にはスタッフ手作りフェルト製の赤い花のコサージュがひときわ光るI君。

みんなが見守る拍手の中、I君登場。社長の「一緒にがんばって行きましょう」の祝辞に続き、私は入社激励書を読み上げます。

「ようこそ、お茶村へ!・・・」生来、感激屋の私は最初の一行を読んだだけでもう涙、涙。途中、I君のお母さんも感極まり涙されている姿が目に入り、又もらい泣きしてしまいます。

それでもなんとか読み上げ、記念品贈呈。

次に一年先輩のEさんからあたたかく嬉しいお祝いメッセージが伝えられました。

最後にみんなで記念撮影。終始にこにこ顔で元気なI君の晴れ姿にご両親も大変喜ばれ、お蔭さまで心豊かな入社式となりました。

式後、I君に「緊張した?」と尋ねたら「緊張はしませんでした」と頼もしい発言。

I君と共に新しい第一歩を踏み出したお茶村。

これからもきっと色々なことがあるでしょう。けれど何かあったときは“良くなるチャンス”と捉え、プラス思考・可能思考で取り組んでいくのがお茶村人。

私たち自身がお茶村人としての資質を磨き、もっともっと社会に貢献できるよう共にがんばってまいります。

『福岡婚活事情』

福岡の結婚コンサルタント「マゼンダ」代表の倉掛未加子さんから、最近の婚活事情についてお話を聴く機会があった。

愛するうちのスタッフの中の女性陣も時の流れの中で20代から30代となり、最近社長(主人)から、「うちの社員で結婚していない女性社員が増えているのは、あんたがそういう話をしないから。これでは日本の人口は減る一方!」と責められる(笑)。

私も気にかけてはいたものの、スタッフもそれぞれに結婚する意志はちゃんと持っているし、プライベートなことだからあんまりせっついても、、、といった気持ちで来た今日(こんにち)だった。

が、倉掛さんのお話しによるとやっぱりもっとせっついたほうが良いらしい。

福岡の適齢期男女の人口は女性の方が多いそうだ。何故か?

男性はより良い仕事を求めて大都市へ流れ、女性が活躍しやすい仕事が多くある福岡は生活もし易く定着する傾向が強いという。

今、男女問わず生涯未婚率は20%にも上るそうだ。(エー?!)

女性の社会進出で女性の結婚への意識も変わってきた。

私が結婚した30年ほど前をひと昔とするなら、実際の結婚年齢はその頃より4~5年上がってきているし、以前は結婚したら専業主婦希望が多かったが、今の女性は結婚しても8割が仕事をしたいと望んでいるそう。

加えて男性側の事情も。地場企業での男性の年収が減ってきていて男性自身が“結婚しても生活が難しい”と感じている人も増えているという。

「恋愛と結婚の違いは契約であり、分かり合えないのが男女なので要は好きかどうか」とはこの道のプロの倉掛さんの名言。妙に納得(笑)。

草食系男子という言葉が闊歩する昨今、「男子よ、もっとたくましく!」と叫びたい心境だが、ひょっとしたら私たち女性にも責任があるのかもしれない。

「男女の権利は平等だが役割が違う。一般的に女性は命を生み育む性。男性はそんな女性を守る性。又、そういう男性を育てるのも女性の役割」と、倉掛さんと共にマゼンダを経営し今は博多の歴女として名高い白駒妃登美さんも話されて非常に共感したものだ。

おせっかいおばさんと言われても、やっぱりお尻をたたきカップル誕生に寄与したい。

これからの日本を背負って立つ若い世代が脈々と受け継がれていくことに少しでも貢献したいとあらためて感じた一日だった。

この町を汚さない

ひと月に一度、会社の有志で社外清掃をしています。

もうかれこれ8年位になるでしょうか。

毎月第三木曜日の朝7時30分に店舗前に10名前後のスタッフが集合。それぞれにゴミ袋や○○を持ち、1km内外を40分ほどゴミ拾いを主に回ります。

三月は春を感じる社外清掃です。

風はまだ少し冷たいけれど、あちこちに菜の花が咲き仏の座やかわいい土筆(つくし)も発見!感動!!

とは言え、道端に落ちているのはタバコの吸い殻が多く、お菓子の空き袋やジュースの缶もあちこちに。

ゴミを捨てる人の多少の罪悪からか、目につきにくいところに無理に押し込んであったり、ブロックの穴に突っ込んであったりしてかえって取りにくい。

「どうぜ捨てるなら、取りやすいように捨ててほしいな」とスタッフの声が聞こえてきます。

こんなゴミ拾いを経験すると、皆ゴミを捨てなくなるだろうといつも思います。

そうこうするうちに、だんだん膨らんだゴミ袋を持って再び店舗前へ集合。

ゴミの仕分けをして一区切り。

その後のJさん(うちの若手社員)のコメントが素晴らしい!「ゴミ拾いをしながら、この町を絶対に汚さないぞと思いました」そのカッコよさに皆爆笑(笑)しながらも彼の気持ちが嬉しかった。

東京ディズニーランドの清掃担当の方に「何をされているのですか?」と尋ねると「夢のかけらを集めています」と答えられるそうです。素敵ですね~、さすがディズニー!

同じことでもそんな風に思えたら何でも楽しくなりますね。

仕事の醍醐味ってそんなところにもありそうですね。

今年も伊勢へ。

伊勢の神宮が大好きで、これまでに10回以上もお参りさせていただいています。

二十年に一度の式年遷宮が執り行われた昨年も遷宮行事であるお白石持ち行事(内宮)に参加、遷宮後は立ち入ることの出来ない新宮の御垣内、真新しい御正殿の近くまで進み、お白石を奉献させていただく感動の体験でした。

天照大御神様がお遷りになられる神域です。

写真は撮れないので、その神聖なる内宮御正殿を心の眼にしっかりと焼き付けて来ました。

あれから7か月。ご遷宮も無事に終わり伊勢の神々様はそれぞれに新しく立派な御正殿にお遷りになられ、お気持ち良い日々をおおくりいただいているのではないかと勝手に喜んでおります。(笑)

今回、修養団の寺岡さんのご厚意にて、3月末でお取壊しになる旧外宮さんの御正殿のすぐ側までご案内いただき、感慨深い思いに浸ることができました。

外宮さんは五穀豊穣の神である豊受の神様をまつられています。

その御正殿では天皇陛下だけをお迎えされ、二十年という歳月が重ねられてきました。

天皇陛下は日々国民の幸せを祈っておられるとお聞きします。

だからやはり神宮でも世界平和と民(国民)の幸せを祈られたのではないかと、これ又勝手に思っております。

本当に何事も有難いことばかりです。

これからもこの日本が平和であることを願い、誇りある日本人として生きていきたい。

式年遷宮の目指すところは古くて新しい、「常若」の精神といわれてます。

常に若い気持ちで未来に向かっていくことの大切さを伊勢の神宮は教えてくださっているのでしょう。

昨年内宮さんのお白石持ちに続き、今年外宮さんとのご縁をいただき本当に嬉しく有難いひとときとなりました。

スペシャルオリンピックス

みなさんは“スペシャルオリンピックス”をご存じですか?

恥ずかしながら私は知りませんでした。

今日、久留米で細川佳代子さん(細川元首相の奥様)の講演会が催され「愛・感動・生きる・・・つながる世界」という演題でスペシャルオリンピックスのお話しをいただきました。

「こんな世界があったのか、、、」と自分の無知を恥じるとともに感動の世界に涙々でした。

要約して言いますと、パラリンピックは身体の障がいを持つ方が選手として参加。スペシャルオリンピックスは知的障がいのある方が選手として参加します。

オリンピック・パラリンピックの2年後に行われ、独自の理念とルールのもとに開催されるのでメディアの取材も少ないとのことです。

始まりは1968年、故ケネディ大統領の妹ユニス・シュライバーが、当時スポーツを楽しむ機会が少なかった知的障がいのある人たちにスポーツを通じ社会参加を応援する“スペシャルオリンピックス”を設立。

その活動は世界各地に広まり、現在日本でも全国約8000人のアスリートと14000人近いボランティアが参加する組織となっているそうです。

参加者が一番大切にしていることは、昨日の自分に今日勝つこと。オンリーワン。決して諦めずにゴールまで辿りついた者が全員勝利者であるということ。

ふとしたことからこのスペシャルオリンピックスに拘わることになった細川さん。社会の偏見と闘いながら「命をかけてやってきました」ときっぱり。

「彼らから一人の人間の尊さを教えてもらった、彼らこそ社会に必要な人たちであり、社会を変えるキーパーソンです」と言われるそのお姿は凛として神々しいほどに感じました。

「最大の目標はアスリートの能力を高め、自信と勇気を得ること。人に勝つことよりも自分のベストを尽くすことの素晴らしさを知る。みんなが勝利者である・・・そんな場を提供して行きたい」と熱く語られる姿勢に又涙。

障がいを持つ人と健常者が共に支え合い、暮らせる社会をつくりたい。そうあらためて思った今日でした。